左手

全日本インカレの決勝が東海-日体大と決まった時。
なぜか月刊バレーボールの見出しが頭の中に浮かびました。
それは
日体大2連覇」
どうしても、その見出しが頭にこびりついて離れなくて、何度も
「東海優勝」
のイメージを頭の中で作り出していました。
自分の心配も杞憂に終わり、東海が4年ぶりの優勝。
そんなこんなで、今月号の月刊バレーボールは待ち遠しかった。


月刊バレーボールの発売日。
仕事から自宅に帰って、月刊バレーボールを開く。
東海の全日本インカレ優勝の記事を見ました。
あれだけわくわくして、楽しみにしていた記事だったけれど、「それ」を見て一瞬で凍り付く。
こんな気持ちになるなんて思ってもいなかった。
「それ」は、東海が優勝した瞬間の一枚の写真でした。
優勝が決まりコートの中の選手が集まってくる、その歓喜の瞬間の写真。
コートの中の最下級生2年生の小松選手が左手を抑えていました。
その時、東海が優勝を決めた瞬間のワンプレーが記憶の中で甦りました。



東海が優勝した瞬間のワンプレー。
27-26のマッチポイントから、サーブはケイさん(小松選手)。
中屋選手がレシーブ。
きれいにセッターの柴田選手に返る。
柴田選手のトスは辻村選手に上がる。
辻村選手の渾身のスパイクは、東海のレンさん(小田選手)のブロックの横を抜ける。
正直、「やられた」と思った一撃。
が、ボールが上がる。
高く弾かれたボールをシュウさん(山上選手)が追う。
ダイビングレシーブで上げたボールをアコさん(山内選手)が日体大コートに高く返す。
リベロからの返球を柴田選手は再び辻村選手に上げる。
そのスパイクをレンさんとリノさん(梅津選手)がブロックで止めて決着。
シュウさん→アコさん→リノさんの一連の繋ぎが素晴らしくしてずっと、心に残っていたけれど。
そもそも。
あの辻村選手の渾身の一撃が、なぜ上がった?
自宅で録画を確認すると、辻村選手のスパイクがライン際に決まるかと思われた「そこ」にケイさんが咄嗟に左手を上げて「当てて」いました。
左手一本で上げています。
あのスパイクは、本当に目で追えない渾身の一撃で、レシーブは「できない」速さ、コースだったと思います。
ケイさんが、咄嗟に出した左手が、よくぞボールを上げてくれたと思います。




考えれば、考えるほど、畏れのようなものも感じます。
ケイさんは、あの瞬間に左手を負傷しています。
もしも、あのままラリーが続いていたら、ケイさんはレシーブをすることができません。
あそこは、東海はブロックで決めるしかなかったと思います。
そこでブロックポイントで決めた。



もしも、日体大が同点に追いついていたら、東海は2回戦で負傷したミドルのココさん(佐々木選手)だけでなく、同じミドルのケイさんも欠いて試合が続いていたことになります。
でも、あそこで試合が決した。


今大会は、東海には試練の連続でした。
トーナメントの組み合わせからして、敗れている相手チーム全てと対戦しなくてはならなかったこと。
2回戦でココさんが負傷。
3回戦では、リベロのリョウさん(小口選手)が足を攣ってしまい一時、退場。
日体大との熾烈な試合を含め、おそらくバレーの神様は、東海を優勝させたくなかったのではないかなとさえ思いました。
本当は、あの辻村選手のスパイクは、バレーの神様のシナリオだと決まっていたんだと思います。
でも、あのケイさんの咄嗟に出した「左手」はバレーの神様を越えたプレーだったのだと思います。
その代償は大きかったけれど、
試合の中で、わずか0コンマ数秒の刹那のプレーの中に、
神をも越える途轍もない素晴らしいプレーがあった。



皇后杯は残念ながらケイさんは出場できませんでした。
コートにケイさんが戻ってくる日を楽しみにしています。
春が待ち遠しいです。