今だから わかること

pigroboshow2006-12-02

過去の世界バレー,世界選手権で一番強烈な印象で心に残っている場面。
それは1982年の朝でした。
朝,起きてテレビのニュース番組を見たら,体育館内に紙ふぶきとフラッシュが舞う中,大喜びのペルーチームと大歓声。遺影を掲げた選手の姿が画面に映し出されていました。
それは1982年にペルーで行なわれた世界選手権の映像でした。
バレーボールで これだけスゴイ熱狂的な場面は見たことがなくて驚いたのと,日本がペルーという,自分があまり意識していなかったチームに敗れてしまったと知ってショックでした。
その後,ペルーの大躍進は一人の日本人の指導者の力によるところが大きいと知って複雑な想いをもちました。
当時,未熟であった自分は,悔しいような,どうして? そんな思いもあったように思います。
なぜなら,日本はそれまで世界選手権に参加以来メダルを逃したことはなく,初めて4位という順位に終わってしまった大会だったからです。
でも,今だからわかること。誇りに思えることがあります。

ペルーに渡った日本人指導者,加藤明さんの心。
日本からペルーに渡る時の思い,決意。
ペルーチームは当時,けして強いチームではなく,ペルー国内を渡り選手を探して,でも,日本式のトレーニングは厳しいものでしたから なかなか受け入れられなかったそうです。
それでも,信念を貫いた加藤さん率いるペルーチームはめきめき実力を発揮して強いチームへと変貌していって,1968年のメキシコオリンピック4位という好成績を残しました。
そして,1982年のペルーは自国で開催された世界選手権で日本にも勝利し,準優勝という快挙を成し遂げました。
その年の春。加藤明さんは急性肝炎により死去されていました。
日本からペルーに渡り,バレーボールの為に傾けられた情熱。
加藤さんの信念,志はペルーチームに受け継がれて行ったのだと思うし,そういうたくさんの人の気持ちのひとつひとつが,バレーボールという競技が世界に広がっていった原動力になったのではないかなと思います。

加藤さんが亡くなられた時のペルーの新聞の見出しはとても有名なもので,最初受け入れられなかった加藤さんのバレーボールでしたが,葬儀には20万人の人が集まられたそうです。その時の新聞の大見出しは,
「ペルーは泣いていてる。」
でした。

ペルー大会から24年経った今,日本で開催されたバレーボール世界選手権,世界バレー参加国,地域は219にも及ぶそうですね。
世界中に広まっていったバレーボールと,その中で競技者として競う選手を応援できる嬉しさと誇り。勝利は尊いものにかわりはありませんが,勝利が全てではないとも思います。