野溝嘉乃ふたたび

第2試合の練習時、Sさんが、
セイコーエプソンの4番の選手は、第1試合では出てなかった」
という意味のお話をされて、どれどれと、見てみました。
あれ?
誰かに似ている?
クミさん?
セイコーエプソンの4番の選手は、2008Mermidsのキャプテン、野溝嘉乃選手、コートネーム、クミさんに似ていました。
しかし、クミさんは長野で就職したのは知っていたし、人伝に男子のバレーチームのマネージャーをしているとも聞いていました。
それが、いきなりセイコーエプソンのチームにいるなんて、信じられなかった。
長年、東海を応援しているAさんにも確かめてもらいました。Aさん曰く、
「間違いない」
クミさんでした。


私は6年ぶりにコートのクミさんを見ました。
男子選手以上に女子選手はブランクが大きいと戻すのは難しいと聞きます。
ですが、クミさんは6年前と同じプレーをコートで表現されていました。
私にとっては、現実とは思えない、なんだか夢のような時間でした。
試合の合間に、三菱のセリさんが自販機近くにいて、声をかけました。
クミさんが卒業後にセリさんは入学したので、接点は一見無さそうだけど、二人とも長野県出身という共通点がありました。
クミさんのことを聞いてみました。
すると、国体のメンバーとしてセイコーエプソンに合流しているとのことでした。



セリさんと話した後、クミさんご本人と話すことができました。
なんでしょうね。
言葉にするのが難しいですが、私がバカの一つ覚えのように、「また どこかの体育館でお会いしましょう」と言っていた言葉を、こういう形でかみしめることができたことに感謝いたします。


2007年6月10日。
初めて、東海の選手で声をかけてくれたのがクミさんでした。
神奈川大学の体育館。
2部に落ちた東海の応援に行って、初めて東海の幕を作って張った時でした。



2007年12月24日。
練習見学。
「キャプテンになりました」
クミさんから、そう教えてもらいました。



2008年5月17日。
大東文化大学体育館。
東海が大東大に勝利して、2部2位以上確定。
試合後、クミさんは、
「1部復帰、決まったんですよね」
そう言って、ほっとした表情をしていました。


2008年10月13日。
おそらく。自分の人生において比肩するものがないのではと思えるスポーツでの最大の感動。
東海秋リーグ優勝。試合後にクミさんに声かけました。
「おめでとう。でも、もう全日本インカレは始まっているよ」
笑顔で頷いていました。


2008年11月某日。
忘れられないできごと。
全日本インカレが迫ったある日、練習見学を終えて、体育館を出るときに、クミさんに呼び止められました。
正確な言葉は覚えていないけれど、全日本インカレに応援に来てほしいという意味の言葉でした。
仕事もあるし、平日のすべては無理だけど、もちろんできるだけ応援に行くと伝えました。
大きなプレッシャーと戦っているクミさんの表情を見て、本当にできるだけのことは、してあげたいと思いました。



全日本インカレ。
近江選手(シンさん)。吉村選手(サキさん)。山口選手(クウさん)。養畑選手(センさん)。1年生の活躍は目覚ましかったけれど。
やはり、キャプテンのクミさんがチームの中心で支えていました。
クミさんがバレーを続けないらしいことを知った時は、残念に思いました。寂しかった。


「また どこかの体育館でお会いしましょう」


卒業してからも、どこかで、東海を応援できる時、あるいはプレミア、チャレンジの会場でお会いできることがあるかもと、淡い期待をもって6年。一度も体育館でクミさんの顔を見ることはありませんでした。


6年後。
野溝嘉乃ふたたび。
コートに。
こんなに嬉しいことはない。