浜北で行われたチャレンジマッチの時に、
うなぎを食べました。
うなぎには切ない思い出があり、それを思い出します。
うなぎを初めて食べたのは、小学校6年生の時でした。
父親が原因不明の病気で苦しんでいたこともあって、まあ、、色々大変でした。
お金の無い話は、たくさんあったのですが、
子供心に参ったのが、
自転車とグローブと電話でした。
野球が大好きだったけど、グローブ持ってなくて友達に借りていたし、自転車とグローブ無いって言うんで、
「貧乏」
そうはっきり言うクラスメイトもいました。
特に子供心にキツかったのが、「電話」がなかったこと。
1年に数回、小学校の学区ごとに集まるのですが、その際に電話連絡網を作成します。
滅多に使われない電話連絡網でしたが、
ひとりひとり自宅の番号を議長に伝える形式でした。
それまで、恥ずかしい気持ちをこらえて、
電話ありません。って言っていましたが、
その度、どよめきが起きていました。
ある年、どうしても、
みんなが集まってるなかで、
「電話ありません」
が言えなくて、テキトーな番号を伝えてしまいました。
で。まあ。そう。
それまで使われなかった電話連絡網が、その年だけ、使われて、、
まあ。エライ嘘つきになりました。
小学校6年生の時、
両親も生活保護とかは、受け取らず頑張ってきていたのですが、父親の病気も相変わらずで、支給していただくことになりました。
その話をどこからか知った、ある同級生の女の子が
「このクラスには、ほんとの乞食がいる」
と、言い出して。
度々、自分の方をチラチラ見ながら言うので、自分のことなんだなと分かりました。
まあ、ほかに該当者いなかったし。
あまりにしつこくて、クラス中に広めたくてウズウズしているのを感じて、嫌だなと思いました。
ある日、
自宅で母親に、それを言いました。
その後の母親の行動には驚きました。
女の子の家まで、押しかけて行きました。
以降、女の子は同じようなことは口にしませんでした。
女の子の家まで行った母親が、帰りに買ってきたのが「うなぎ」でした。
母親は、何も言わず黙って、うなぎを焼いてくれました。
うなぎを食べたのは、その時が初めてでした。
おいしかったなあ。
うなぎには、そういう思い出があります。